
松原のぶえさん
9月14日、月曜日。
その日は朝からいつものように、部屋でパソコンの作業をしていました。
今週から続く敬老会のタイムスケジュールやプログラムを作っていて、ちょうど松原さんとご一緒する、その資料を作っていた時でした。
と、その時!
部屋をノックして、美保さんが入ってきた。
「松原さん、亡くなったって」
あまりにも予想していなかった言葉だったので、一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。
でも、美保さんの深刻そうな、悲しそうな顔を見たら、その言葉が本当なんだということはすぐに分かりました。
すぐに師匠の部屋へ行くと、そこには昇さんもいて、二人とも、突然突きつけられた事実に、
「ほんまか?」
「この間会ったばっかりやぞ」
と、信じられない様子でした。
僕も同じでした。
だって、ほんの数十秒前まで、今週、松原さんと一緒に仕事をするつもりで、松原さんの名前が入ったタイムスケジュールやプログラムを作っていたんです。
それなのに突然、
「亡くなった」
と言われても、到底現実のこととは思えませんでした。
でも、そんな気持ちとは関係なく現実はどんどん動いていき、しばらくすると、役場から電話が鳴り始めました。
この9月、これから4か所の敬老会で松原さんとご一緒する予定でした。
その役場の担当者さんから、
「ニュース見てびっくりしました」
「今度の敬老会はどうなるんですか」
「代わりの方は立てられますか」
と、次々に電話が入ってくる。
早いところは18日。
つまり4日後。
なので、悲しんでいる場合でもなく、そこからは一気に現実的な対応に追われることになりました。
出演者の調整。
タイムスケジュールの書き直し。
プログラムの変更。
変更になった曲の音源の用意。
送迎の配車の組み直し。
ホテルのキャンセル。
代役が決まったら、また各所に電話。
そして、それらを逐一役場と共有。
次から次へと、やることが出てくる。
急な対応が一気に増えたので、もっと慌てるかと思っていたんですが、これが意外と不思議なくらい僕は冷静でした。
あたふたすることもなく、割と淡々と一つずつ進めていました。
でも、今になって思えば、あれは冷静とはちょっと違っていたと思います。
たぶん、現実だと思えてなかったんだと思います。
ずっと夢の中にいるというか、なんかふわふわしているというか。
そんな感覚でした。
松原さんと最後にご一緒したのは、9月5日の『日高川町敬老会』でした。
その日は、松原さんの「おんなの暦」という曲で横で踊らせてもらいました。
歌手の方の横で踊らせていただくというのは、踊り手としてはもちろん光栄なことなんですが、歌手の方によっては横で踊られるのを嫌がる方もいます。
やっぱり気が散りますし、その拍子に歌詞が飛んでしまうことだってあるかもしれない。
なので基本的には、歌手の方より一歩後ろへ下がって踊るんです。
でも松原さんは、
「せっかくだし、私、福ちゃんの踊り見てたいから、もっと前出ていいよ」
とか、
「福ちゃん、私端に寄るから、もっと真ん中寄ってきて」
とか。
そんなふうに言ってくださって、僕が横で踊ることを本当に喜んでくださっていました。
まあ、お世辞だったのかもしれませんけど(笑)
でも終わったあとにも、
「すごく綺麗だった」
と褒めていただいて。
僕、褒められるのが三度の飯より大好きですから。
(知ってる)
嬉しかったなあ。
そしてそのあと、松原さんと写真を撮ってもらいました。
この9月だけでもまだ何回もご一緒する予定だったので、その時は、
「まあ、今月のどこかで写真撮ってもらえたらいいか」
くらいに思っていました。
でも、たまたま時間があったのでお願いしたんです。
すると、
「綺麗な人とは一緒に写りたくない」
なんて冗談を言いながらも、快く撮ってくださいました。
まさか、それが最後の写真になるなんて思ってもいませんでした。
僕が松原さんと初めてご一緒したのは、2023年9月の『紀美野町敬老会』でした。
もちろん最初の印象は、
「THE・スター」
着物を着て舞台で歌っている姿は、偉そうに聞こえるかもしれないけど、やっぱり様になるし、かっこいい!
それに、歌われる曲が、
「あ、この歌知ってる」
「これも知ってる」
という曲ばかり!
紅白歌合戦にも何度も出場されてきた、本当にすごい歌手なんだなと改めて思いました。
舞台に立った時の存在感も、オーラも、
間違いなくスター!
でも、そんなスターが最初の頃から僕のことを、
「福ちゃん」
と呼んでくれたんです!
こんな名も知らない田舎の役者を(笑)
普通に、親しみを持って接してくださる。
僕にはそれがすごく嬉しかったです。
その2023年の紀美野町の時も、松原さんの横で踊らせてもらいました。
紀美野町の敬老会は2日間あって、初日の夜だけは「町民癒しのコンサート」という、チケットを販売して一般のお客様にも見ていただく形でした。
その夜のコンサートだけ、僕が松原さんの歌で踊ることになっていたんです。
で、僕が舞台に出ていった瞬間、
「福ちゃーーーん!」
と、客席から割れんばかりの黄色い歓声。
いやあ、人気者はつらい。
(嘘つけ)
まあ、あの時の客席は、江戸村のお客様が大半だったからね(笑)
でも松原さんからすると、そんな事情は分かりません。
たぶん、その歓声を聞いて、
「私は知らないけど、この子、地元ですごい人気ある子なんだ」
と思ってくださったんでしょうね。
終わってから、
「あんなにお客さんが喜んでくれるなら、明日の敬老会でも歌うから踊ってよ」
と言ってくださったんです。
その松原さんの一言で、急遽、翌日の昼の敬老会でも踊らせてもらうことになりました。
で、翌日。
昼の敬老会は、その地区の高齢者の皆さんが対象です。
つまり、僕のことなんか知らない人がほとんどです。
曲のイントロが流れて、
「さあ、この曲は皆様お待ちかね、あの市川福之介さんに踊っていただきます」
という壮大な紹介を松原さんがしてくださって、僕が舞台に出ていく。
シーン。
……
…………
無風というか、凪。
昨日の、
「福ちゃーーーん!」
はどこへ行ったんやと(笑)
そりゃそうでしょう。
昨日は江戸村のお客さんがほとんどで、僕を知ってくれている人がいっぱい。
今日はほとんど知らない。それだけのこと。
何もおかしくない。
でも終わったあと、松原さんが一言。
「今日のお客さんはおとなしいね」
……
…………
………………
いや、違うんです。
お客さんがおとなしいんじゃないんです。
単純に僕の知名度が圧倒的にないんです。
今思うと、それもすごくいい思い出です。
最後にご一緒した『日高川町敬老会』の前日、9月4日。
松原さんが和歌山に来られた際、その足で江戸村にも寄ってくださいました。
客席の「り-4、5」あたりに座られて、みんなで囲んでお話し。
そこへ、智保さんの飼っている犬、小鉄がやってきました。
松原さんも犬を飼っていらっしゃるそうで、小鉄が来ると、
「小鉄〜」
と嬉しそうに呼ぶんです。
ところが、その小鉄。
なぜか僕のところへ来て、膝の上にちょこんと座る。
それを見て、松原さんが、
「なんで福ちゃんのところ行くの、もう」
みたいな感じで、ちょっと嫉妬するんです(笑)
小鉄も最初は少し人見知りしていましたけど、最後には松原さんのところへ擦り寄って、いっぱい可愛がってもらっていました。
本当に、ついこの間の出来事です。
だから、いまだに信じられないんでしょうね。
こんなことなら、もっといろんな話をしておけばよかった。
まあ、と言っても、自分から話しかけに行くのは恐れ多く、いつも松原さんの方から優しく話しかけてくださって、それでいろいろ話をさせてもらうことが多かったです。
でも、こんなに早くお別れが来るんだったら、もっといろんなことを聞いておけばよかった。
舞台のこと。
歌のこと。
どうやれば歌が上手くなるのか。
(まあ、僕の場合、聞いたところでどうにかなったかはわからないが)
でも、本当にいろんなことをお聞きしたかった。
僕から見た松原さんは、本当に舞台に真摯で、優しい方でした。
お客様に対しても、スタッフに対しても優しい。
偉ぶらない。
あれだけのスターですよ。
天狗になっていたって不思議じゃない。
むしろ、ならない方がおかしいくらい。
僕なら絶対に天狗になる自信があります。
(それはそれで問題だが)
松原さんは舞台のトークの中でも何度も、舞台に立てることへの感謝を口にされていました。
お客様の前で歌えることの喜び。
初めての場所で歌えること。
初めて自分の歌を聴いてくださる人に出会えること。
そういうことを、本当に嬉しそうに話されていました。
ここからは、僕の勝手な想像です。
松原さん自身、大きな病気を経験されて、そこから舞台に復帰されています。
だからこそ、
自分の好きなことを仕事にして、
好きなことでお金をいただいて、
その好きなことで人に喜んでもらえる。
それって、この上ない幸せなんじゃないか。
もしかすると松原さん自身、そんなことを考えていたのかな、と。
(まあ、僕が勝手にそうじゃないかと思っているだけですが)
でも、そんな松原さんの姿を見ていて、
僕自身も思ったことがあります。
僕も、自分の好きなお芝居をして、舞台に立って、
それをお客様がお金を払って見に来てくださって、
喜んでくださる。
これって、本当はものすごく幸せなことなんですよね。
分かっているつもりでも、
毎週舞台に立っていると、
どうしてもそれが「当たり前」になってしまう時があります。
でも、当たり前じゃないんですよね。
今あるこの環境を、もっとありがたいと思わないといけないな。
松原さんを見ていて、そんなことを思いました。
今はまだ、悲しいとか、寂しいとかよりも、
「信じられない」
という気持ちが一番強いです。
次の現場に行っても、普通に松原さんがいて、
「福ちゃん」
って呼ばれるような、気がします。
松原さん。
あなたの横で踊らせていただいたこと。
「福ちゃん」と呼んでいただいたこと。
今になって思えば、本当にこの上ない幸せなことでした。
願わくは、
まだ何回も踊りたかったです。
本当にありがとうございました。
